俳句(はるひ句会)2015.11 通刊22号

2015年11月新作はるひ句会へようこそ!

句碑をたずねて

げんげだに 明日の命の 湮(しず)みつつ

 かねて幸田町鷲田(行政区)の墓地に、自然石の大きなお墓の陸軍少尉・鈴木正行氏の名と右下に刻まれている揚句「げんげだに」の意味が分らず、気になっていた。
 そこで鷲田に居住する従兄弟に意味を尋ねたところ、鷲田と東部(とうべ)の間の窪地の田畑を「源田」と呼ぶところから<源田の田>に咲いていたげんげ(蓮華草)に故郷を偲び、戦場に余命を悟られたのであろうと拝察した。
 墓石の裏面に故人の由緒が刻まれている。(以下要旨)

  1. 鈴木正行氏は
    • 昭和10年1月;陸軍に入隊 4月;満州の守備隊に12月;豊橋の陸軍教導学校に入学
    • 昭和11年11月;卒業、伍長に進級
    • 昭和12年7月;日中戦争勃発、中国各地に転戦8月:上海に 10月;大場鎮に 12月:南京に
    • 昭和13年8月;武漢に 以降3年間応山に駐屯
    • 昭和16年9月;湖南に 12月;太平洋戦争に拡大
    • 昭和17年4月;准尉に進級、福知山部隊の教官に 8月;名古屋に帰隊
    • 昭和18年9月;フィリピン・ミンダナオ島に
      9月29日の戦闘で被弾・戦死、行年31歳
  2. 戦功により、勲6等、功5級の金鵄勲章を賜る。剣道初段、俳句石楠同人、法名;孝行院釈忠臣 昭和18年12月 父 鈴木 郡氏建立・・とある。
    ・・町内の身近な方が戦地に遺された俳句の心に触れ、いいお盆になった。
    戦地にあっても多くの佳句を遺されたが、鈴木正行氏の戦死によって句誌石楠は一時休刊された由。

メンバー新作ご紹介 作者名(アイウエオ順)

1.≪課題句≫  =花野(花野原、花野道、花野風)=

大矢部 俊子 課題句1
蔭山 政江 課題句2
鈴木 定夫 課題句3
鈴木 雅澄 課題句4
瀧本 憲宏 課題句5
徳永スエ子 課題句6
安田 公子(会友) 課題句7
宮川久美子 課題句8
山根 円蔵 課題句9
吉弘カスミ 課題句10

2.≪自由句≫

大矢部俊子
俳句特設1
蔭山 政江
俳句特設2
鈴木 定夫
俳句特設3
鈴木 雅澄
俳句特設4
瀧本 憲宏
俳句特設5
徳永スエ子
俳句特設6
安田 公子(会友)
俳句特設7
宮川久美子
俳句特設8
山根 円蔵
俳句特設9
吉弘カスミ
俳句特設10

3.お知らせ

次号の課題は「新年」(年新た、新玉の年、年始、年立つ、年立ち返る、年明く、年改まる、年来る、年迎ふ・・などの他に、昔の歳時記にある季語も興味がありOKです)
締め切りは12月15日です。

お世話役のつれづれメモより 「連句抄」
数年前に今は亡き友人から、「平和の連句抄」という本を形見に頂いた。例えば次のような句があったので、〝惚け防止〟の言葉遊びとしても面白く読ませて貰った。

  • 寅治郎 雲とマドンナ 追いかけて・・・Yさんの句に
    切手足らずに 戻る恋文・・・Mさんの付け句
    祭り屋台の 啖呵滑らか・・・私の付け句
    *寅治郎とは、人気映画の主人公、車 寅治郎のことである。
  • 妻の座は 要らないけれど 傍にいて・・・Hさんの句
    尽くす女で あるが悲しき・・・Aさんの付け句
    掃除洗濯 だけで嬉しき・・・私の付け句
――などと私は、本に掲載の付け句とは反対の心情を詠んだものである。

一方、町内の老人ホームで絵手紙を描いた時、Kさんが中日新聞の文化欄の切り抜きを見せてくれた。主旨は「付けてみませんか」の記事であった。『今こそチャンス 君に告白』の課題の前に575の句を付けるのである。そして、「小雨降る バス停今日は 2人きり 今こそチャンス 君に告白」と、Kさんの名前が載っていた。
Kさんからこの句が出来た顛末を聞くと、場所は台北、君とは亡きご主人で台湾大学医学部の学生さんとのこと。要するに70年前の想い出を楽しそうに語ってくれたのである。
そして私は実感的にも、絵手紙や俳句づくりが〝惚け防止〟になれば嬉しい。

鈴木定夫 〒444-0113 額田郡幸田町菱池農基17-1
電話(0564)62-2088    Eメール s-suzuki@sk2.aitai.ne.jp