俳句(はるひ句会)2016.5 通刊25号
2016年5月新作
- 5~6年前のこと。近所の人から「大草(町内の地名)の山寺で、京都で修業したお坊さんの精進料理が味わえる・・」と聞いたことがあったが、(この幸田に山寺とは本当か)と、半ば気に止めていなかった。
- 一昨年夏、郵便受けに「浄土寺に卓池の句碑を建立する会」の会員募集の案内が入っていた。発起人には町内の著名人や、三河の俳句会の方々の名が見られた。真面目な会の様子に食指が動いたが、句会への勧誘も・・とも考えて遠慮していた。
- 昨秋、友人から「句碑が出来たので観に行かない?」と誘われたが都合が悪く辞退した。
そして今年の正月四日、初詣のはしごで浄土寺に寄ってみたが、ヒト気がなく住職も不在だったので、外からお参りした。仮築とおぼしき仁王堂には、運慶作と伝わる朽ちかけた仏像が立てかけてあり、寂寞とした哀れな姿であった。
そして卓池の句碑は、お堂の石段の脇に建っていた。・・何回句を詠み直してみても「雨漏きかむ」のきかむの意味が理解できなかった。そこで俳句の造詣が深い友人に訊ねた結果、きかむは「牙噛(きか)む」で、悔しくて歯ぎしりする意味と教えてくれた。 ・・朽ちた仁王像を改めて眺めつつ、(卓池もかくや)・・と、私は思った。 - 4月8日、住職にアポイントをとってお会いし、卓池の句意をお尋ねしたところ、「鶴田卓池句碑建立記念誌」を分けて下さり、浄土寺と鶴田卓池の背景が理解でき嬉しかった。
メンバー新作ご紹介 作者名(アイウエオ順)
1.≪課題句≫ =「汐干狩」 (汐干貝、汐干籠)=
蔭山 政江 | ![]() |
鈴木 定夫 | ![]() |
鈴木 雅澄 | ![]() |
瀧本 憲宏 | ![]() |
徳永スエ子 | ![]() |
安田 公子(会友) | ![]() |
宮川久美子 | ![]() |
山根 円蔵 | ![]() |
吉弘カスミ | ![]() |
2.≪自由句≫
蔭山 政江 |
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鈴木 定夫 |
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鈴木 雅澄 |
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瀧本 憲宏 |
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徳永 スエ子 |
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安田 公子(会友) |
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宮川 久美子 |
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山根 円蔵 |
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吉弘 カスミ |
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3.お知らせ
次・7月号の課題は「涼し」(朝涼、夕涼、晩涼、夜涼、涼風)です。
締め切りは6月15日です。
◆お世話役のつれづれメモより 浄土寺と俳人・鶴田卓池の由来 鈴木定夫
- 浄土寺
- 平安時代の弘仁年間(810~823)に、岡崎(岩津)・真福寺の僧南城が、山岳信仰の場を求めて、幸田町の大草に塔頭・南城坊を開山した。
- 爾来六坊が建てられて瑠璃山・浄土寺として隆盛を極め、源頼朝(1123~1160)から、700石の寺領を授かった。
- 戦国時代、三河一向一揆(1563~1564)騒動に巻き込まれ、西の坊が全焼した。
- 長い年月を経るに従い、鶴田卓池が浄土寺を訪ねた天保8年(1837)には、南城坊が残るのみ。朽ちた仁王像にただよう、昔の俤に哀しみ、悔しい思いから・・
・・の句を詠み残したと伝わる。
- 鶴田卓池(1768~1846)
- ネットで検索してみると、江戸後期の俳人。三河生まれ。通称与佐衛門。藍痩(らんそう)青々処(せいせいしょ)と号する。紺屋業を生業とするが、俳諧を加藤暁台、井上士郎に学んだ。また画を能くする。弘化3年(1846)没、79才・・とあった。
- 卓池は俳聖芭蕉を崇高して、行脚俳人として修行し、天保四老人の一人として尊敬されていた。卓池の庵に足をとめ教えを受けた人は、時には7~8人を数え、三河の生んだ優れた文化人の一人である。
- 近隣で卓池ゆかりの句碑を見られる地点としては、浄土寺の他に次の各寺院がある。
- 岡崎・菅生川畔・満性寺:
- 岡崎・稲熊町・法専寺:
- 岡崎・桑谷町・長善寺:
- 知立・八橋町・無量寿寺:
- 岡崎・菅生川畔・満性寺:
*記念誌によるとこの句碑は、6・7・9文字目に「変体かな」が刻まれている。
- まとめ・私の呟き
幸田町に山寺があった?・・・という疑念に始まり、浄土寺を訪ねて鶴田卓地という三河の文化人の足跡に触れ、最後は漢字、ひらがな、変体かなが刻まれた句碑にたどり着いたのである。漢字、ひらがな、変体かな、それに外来語を指すカタカナを使い分けている日本の文字文化の多様性は世界一である。
・・が、今にして日本語は難しくも面白いと思った次第である。
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鈴木定夫 〒444-0113 額田郡幸田町菱池農基17-1
電話(0564)62-2088 Eメール s-suzuki@sk2.aitai.ne.jp