俳句(はるひ句会)2016.9 通刊27号

2016年9月新作はるひ句会へようこそ!

句碑をたずねて

  1. この句碑は、江戸時代の俳人・鶴田卓池が没した弘化3年(1846)に建立されたもので、12文字のうち5字が変体かなで彫られているので、百科事典のコピーを持参した。
    *はるひ句会第25号の「つれづれメモ」をご参照願います。

    ――句碑は170年の星霜を経ていて苔むして判読しにくいので、指でなぞり、彫りの陰影が見易くなる斜め横から、また眼鏡を外してしげしげと観賞した。
     境内には、在原業平(825~880)が東征の途中に当地に立ち寄り、茶の水を汲んだ井戸や、万葉の椿の歌を詠んだ伝えも・・ということから卓池の「鳩の啼く樹」は〝椿〟であろう、と推量した。

     無量寿寺は、慶雲年間(704~708)に創建され、弘仁12年(821)にこの八橋に移されたという。また、5月には杜若(かきつばた)のお寺として広く知られ親しまれている。

     広い境内の山門の隣に、大きな石の鳥居があり不思議な思いに捉われた。「八橋日吉山王社由緒」の案内板によると、慶雲元年(704)に近在の秋葉社や神明社など12社を合祀し、以降、無量寿寺の住職が奉仕してきた。そして明治4年(1871)の「神仏分離令」により、境内に境界を設けたとされていたが、私には同じ境内に神仏混在という印象だった。

  2. 境内に芭蕉の連句碑が建っていた。

    かきつばた 私に発句の おもひあり 芭 蕉
    麦穂なみよる 潤ひの里 知 足

    知立市教育委員会の説明版には、芭蕉が「のざらし紀行」を終えた翌年貞亨2年(1685)に、鳴海の俳人・下里知足を訪ねた時の作と言われる。この碑は、知足のご子孫が安永6年(1777)に建立されたもので、三河に残る代表的な句碑と言う。

    私が住んでいる幸田町・山寺の卓池の句碑から、次いで知立の無量寿寺では、卓池の句碑や芭蕉の連句にも出会えたのは僥倖であった。
     そこで、平成の連句?を――会員・宮川久美子さんの句に添えて遊んでみた。

    きのうけふ あすははかなき 花菖蒲久美子
    絵手紙に描き 姿留むる定 夫

メンバー新作ご紹介 作者名(アイウエオ順)

1.≪課題句≫  =「敬老の日」 (老人の日、年寄りの日)=

蔭山 政江 課題句1
鈴木 定夫 課題句2
鈴木 雅澄 課題句3
瀧本 憲宏 課題句4
徳永スエ子 課題句5
安田 公子(会友) 課題句6
宮川久美子 課題句7
山根 円蔵 課題句8
吉弘カスミ 課題句9

2.≪自由句≫

蔭山 政江
俳句特設1
鈴木 定夫
俳句特設2
鈴木 雅澄
俳句特設3
瀧本 憲宏
俳句特設4
徳永 スエ子
俳句特設5
安田 公子(会友)
俳句特設6
宮川 久美子
俳句特設7
山根 円蔵
俳句特設8
吉弘 カスミ
俳句特設9

3.お知らせ

次・11月号の課題は「秋高し」(天高く、空高し)です。
締切は10月15日です。

はるひ句会のお世話役・鈴木定夫さん 「つれづれメモ」より

≪日本の文字の由来≫

江戸時代の俳人・鶴田卓池の句碑が、一部「変体がな」で刻まれていてよく理解できなかったので、日本の文字について考えてみた。

  • 漢字は、中国殷王朝(紀元前約1,600年前)に甲骨文字が用いられ、次いで金文;石文を経て篆(てん)書;隷(れい)書に発展して漢字ができたと言われる。
  • 日本に初めて漢字が渡来したのは、広神天皇の85年(285)に中国の百済王が「論語」「千文字」などを献じたこととされている。また奈良時代(710~794)には、中国の王義之の書風が尊重されて楷書が用いられるようになった。次いで平安時代(794~1,128)になると、行書や草書が日常化して、書道が発展した。
  • 漢字から「かな」へ
    • 漢字は〝意表文字〟であり、例えば雨冠の字は気象状態を表す語意が含まれている。さらに漢文を読むのに適した訓読のための助詞、すなわち「かな」が出来たのである。「かな」は日本の文字の一種で、表音文字で、一音一字である。
    • 「カタカナ」は漢字の一断片(偏、旁、冠、脚)から出来ているため片仮名ともいう。奈良時代に漢文の経典に訓読記入の助詞として用いられたという。「色不異空、空不異色」を「色ハ空ニ異ナラ不、空ハ色ニ異ナラ不」・・・と。
       現在「カタカナ」は外来語、擬音語、擬態語に限り使用されている。例外として、太平洋戦争中に法律文、学術文などにカタカナが使用されていたことがあった。
    • 「ひらがな」は、奈良時代に漢字の草書から「変体かな」が生まれたが、種類が多くて一音一字にはならず、昭和21年(1946)に内閣告示により、「現代かなづかい」で基本形46字と、濁点(ば)、半濁点(パ)が定められ、「カタカナ」「ひらがな」に統一された。

 こうして「変体がな」は日本の文字から消えたが、明治以前に建立された句碑等に残されている。これからも、世界に類がない日本の文字(句碑)を探し訪ねて、周辺風物との静かな調和や、自然石に刻まれた句の醸し出す、格別の趣をまた味わいたいものである。

(OBの皆さまへ お心当たりの句碑や場所など、取材のヒントをご提供願います)

鈴木定夫 〒444-0113 額田郡幸田町菱池農基17-1
電話(0564)62-2088    Eメール s-suzuki@sk2.aitai.ne.jp