俳句同好会 はるひ2018.3 通刊36号
2018年3月 メンバー新作
お正月は、"豊川〟への道が初詣客で混みあうと思って辛抱・・2月を迎えて比較的好天の日を選び、地図を頼りに『金沢橋』へとクルマを走らせた。橋の近く――とおぼしき地点に至ってもそれらしき光景には行き合わないまま――気づくと自然に目標地点の金沢橋に着いていた。
橋を渡ってほどなく、近くの畑で作業をしていた婦人に『大坂神社』への道順を尋ねたところ、指さして「この道の突き当りを左へ曲がって20m位の右側ですよ」と。また「金沢橋の竣工記念碑は場所を知りませんが、あそこの白い家が富安風生さんの生家ですよ」と、教えてくれた。
大坂神社に参拝し、富安風生の句碑を見たあと、生家を訪ねて金沢橋記念碑への道順を聞くことができた。応対されたご婦人が(豊安風生の曾孫に当たる方のお嫁さんであろう)・・と拝察した。そして、金沢橋から記念碑への道順をゆっくりたどって行く内に行き過ぎたような気配を覚えた。
――とある神社の鳥居近くで、手押し車の椅子に座って日向ぼっこ中の老婦人に出会い、方角を確かめると、毎日散歩の道順らしく、私の車に同乗した上、目当ての記念碑まで誘導して下さった。
*問わず語りに、味わい豊かな逸話を紹介頂くことができた ⇒ 巻末の「つれづれメモ」をご参照。
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同老婦人は・・御年86歳。新城生れで金沢へ嫁いできた由。富安風生の句意もよくご承知で、曰く――「戦後まで橋が無く、豊川を村営の渡し船で往来していた。その後、丸太の杭を川底に打ち込み、板を渡した〝流れ橋〟が豪雨のため流失、自転車で渡っていた中学生が行方不明に・・。
容易に遺体を見つけられないまま、ある日に猫を船に乗せて捜索していた時に、ある場所で猫がしきりに啼くので砂を掘ったところ・・ようやく中学生の遺体が発見されたんですよ」と・・。
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風生の「雪嶺」の句に詠まれた山は金沢橋・北北西の本宮山(789.3m)で、雪は無かった。
奇しくも3人の親切な女性にお会いし、 富安風生 生誕地(現在は曾孫一家のお住まい)金沢橋にまつわる悲劇の真相にも触れることができ、富安風生の俳句の世界における立ち位置も理解できた心地で嬉しい取材行となった。
1.≪課題句≫ =「雛祭り」(桃の節句)、雛の日、雛飾る・・など)=
蔭山 政江 | ![]() |
鈴木 定夫 | ![]() |
鈴木 雅澄 | ![]() |
瀧本 憲宏 | ![]() |
宮川久美子 | ![]() |
山根 円蔵 | ![]() |
吉弘カスミ | ![]() |
2.≪自由句≫
蔭山 政江 |
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鈴木 定夫 |
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鈴木 雅澄 |
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瀧本 憲宏 |
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宮川久美子 |
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山根 円蔵 |
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吉弘カスミ |
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3.お知らせ
次・5月(第37号)の課題は 「五月(五月来る、聖母月、マリアの月、聖五月)」です。傍題はお手元の歳時記による。 =締め切りは4月10日=です。
お世話役のつれづれメモより
- 富安風生の「雪嶺」の句から、豊川を渡る街道(現県道381号線)の今昔を考えてみた。
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江戸時代;徒歩渡り
東海道の難所は〝安倍川の渡し〟であったという。雨が降り増水すると歩いては渡れないので川止めになり、水が引いたあと、男の旅人は荷を背負い、女子供や階級の高い人たちは、駕籠渡しを利用して安倍川を越えたであろうと思われる。
明治・大正・昭和初期;渡し船
文明開化が進むにつれて、木造船を竹竿で押し、または櫓で漕ぐ渡し船の時代に移った。――私が戦災で東京から父のふる里・幸田へ疎開してきた頃、母の実家(安城・桜井)へ行くのに渡し船で矢作川を越えて行った記憶がある。渡し船には、牛を曳いてきた農家の人も乗り合せていたものである。
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流れ橋は、橋桁を川底に固定せず、増水した時橋が壊れる事態をも想定した仮橋
であり、橋桁に流木やゴミが詰まって溢水するのを防ぐ作用も考慮して構築されたと思われる。
*Wikipediaによると、歴史的建造物として今なお現存、活用されている流れ橋があった。◆茨城県;つくば未来市「小貝沼橋」=昭和26(1951)年建造。映画のロケ地としても歴史的建造物?になっている。
◆茨城県;木津川の「上津屋橋」=昭和22(1951)年建造。平成21(2009)年流失したが翌年復旧。以降も流失と再建を反復する中〝永久橋化〟の議論が進められている。
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豊川の「金沢橋」は、昭和43(1963)年に開通した東名高速道路の完成に付随
した県道整備の一環として、昭和46(1969)年に完成したものである。
↓↓↓ 本稿初段の文節で予告の 地元老婦人・問わず語りーーのエピソード
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渡り橋の悲話 親切に金沢橋まで案内してくれた老婦人は新城生れで豊川市金沢町へ嫁いできた人、86歳。「金沢橋竣工記念碑」に刻まれている渡り橋の決壊により行方不明となった中学生遺体捜索の顛末を、眼前に彷彿させるかの如く、悲しそうな表情で物語ってくれた。
曰く、「遺体が発見されたきっかけは、猫を舟に乗せて探していた時、ある場所でしきりに猫が啼くので、舟を停め、河原に上がって砂を掘ってみたら遺体が見つかったんですよ」などと述懐しながら――涙を浮かべた老婦人。・・思わず私もジンときた。 - 『大坂神社』の富安風生の句
社前に牟呂川用水が流れており、風生はその土手の並木の花を詠んだものと思われる。戦後復興の担い手として治水・利水ダムの工事が各地で盛んになったのは昭和30~40年代であり、豊川水系の宇連ダムも昭和33(1958)年に完成し、灌漑用の牟婁川用水ものちに結ばれ、大坂神社の小山の前を流れるようになった。・・にわか勉強成果の一端(笑)
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平成の付け句
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鈴木定夫 〒444-0113 愛知県額田郡幸田町菱池農基17-1
電話(0564)62-2088 Eメール s-suzuki@sk2.aitai.ne.jp