俳句同好会 はるひ2018.7 通刊38号
2018年7月 メンバー新作
既報の豊橋公園と豊川における〝風生〟の句碑に続いて、田原市野田町の「茸山に・・」の句碑を訪ねた。道路地図を見ても「茸山」や「野田山」「法光院」の記載が見当たらなかったため、田原市役所に寄り、道順を教わってから句碑へ向かった。
予定していたよりも早く「法光院」山門前の駐車場へ到着。案内板を確かめて本堂に上がり、お参りしてから、九十九折の道を登り、角を曲がる度にお地蔵さんが迎えてくれたり、風生の句碑を含めて幾つかの句碑にも出会えた。
風生の句碑には裏面に「昭和34年9月 野田村観光協会 建立」――と、あった。
「野田山」を一巡後庫裏に行き、住職にお会いして、今でも松茸が採れますか・・などをお尋ねした。住職いわく「風生の句にあるように、当時は松茸狩りの名所であったが、昭和34年の〝伊勢湾台風〟によって全滅。今はもう採れません」・・想像し、期待をしていたものの残念!「野田山法光院の栞」を頂いたり、幾つかの句碑の写真を拝見することが出来、嬉しかった。
1.≪課題句≫ =「涼し」(朝涼、夕涼、晩涼、夜涼、涼風)
蔭山 政江 | ![]() |
鈴木 定夫 | ![]() |
瀧本 憲宏 | ![]() |
宮川久美子 | ![]() |
山根 円蔵 | ![]() |
吉弘カスミ | ![]() |
2.≪自由句≫
蔭山 政江 |
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鈴木 定夫 |
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瀧本 憲宏 |
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宮川久美子 |
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山根 円蔵 |
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吉弘カスミ |
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3.お知らせ
次・9月号の課題は、――「立秋」(秋立つ、秋来る、秋に入る、今朝の秋)――です。
傍題はお手元の歳時記による。・・締め切りは、8月10日です。
お世話役のつれづれメモより
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松茸のあれこれ
- 私が住む幸田町でも、昭和34年の伊勢湾台風に襲われるまでは、松茸が採れていたと、山主でもあった友人がいう。「松茸採取の権利を売った山には地主でも入れない」とも。
- 私の家から150mぐらい西にある熊野神社(地域の氏神様)の裏山で、松茸を1本見つけたことが脳裏の隅に今もある。
- 平成28年の日本の松茸生産量を調べてみた。(wikipedia)
1位長野県;42.5トン、2位岩手県;20.7トン、3位岡山県;1.9トン。
*全国合計;69.4トン。東海4県=愛知・岐阜・三重・静岡=データなし。 - 松茸栽培のポイント (Wikipediaによる)
・松茸減少の原因=樹木の繁茂、林の中が暗い、落葉の堆積などが大きい。
・対策=松の間伐、落葉の掻き取り、広葉樹の伐採などの管理。
・茨城県農林水産技術センターによる試験栽培の結果、平成16年は、20本という。
――松茸減少の起因は、伊勢湾台風ばかりではなく、人間の側にもあると実感させられた。
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前号(37号)掲載=蟹江の句碑;吉川英治について――その後
著名作家の吉川英治が、太平洋戦争さ中の昭和17~18年に、いかなる経緯で蟹江を訪れたのだろうか?気になったので「蟹江町歴史民俗資料館」などに問い合わせてみた。
当時、吉川英治は小説『新書太閤記』を執筆中で・・織田信長滅亡後に現・愛知県西部(尾張)一帯でも、<西>の豊臣・<東>の徳川両勢力のつばぜり合いが強まり、天正12年頃には本格的な争奪の舞台になっていたようである。★
*吉川英治著新書太閤記・第5巻「さすらい人」に以下の描写が見られる。(原文のまま)
「――鳥瞰して、視界のかぎりを、ここから見渡すと、濃尾一円の平地には、網の目のような交通路と、静脈動脈にも似た大小の河川と、周囲の山岳地方からちぎれて飛びわかれているかのごとき丘陵と、無数の村落と、それから碁石の利きどころにも似た要所要所に町があり、また城がある。
郷、郡、国の境界は、それらの小都会の地域を中心に、複雑な勢力の入りくみかたをして、その分布をたしかに見分けるのはむずかしい。
天正12年3月初め頃におけるこの一帯は、まさにそうした分布変動の直前にあった。それでも今度は画期的な大変化を予測された。例えば、地震の震源地帯のような―― 不気味な様相におおわれていた。」 蟹江城はこの戦に敗れ、のちの地震で壊滅したという。句碑の背後に、綿々と積み重なってきた歴史の深みや、この地を訪れた文人諸氏の息吹や感興などを偲び想う格好の機会に恵まれ、面白くそして興味深く、取材を楽しむことができた。
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平成の付け句
鈴木定夫
Eメール s-suzuki@sk2.aitai.ne.jp