俳句同好会 はるひ2019.03 通刊42号

2019年3月 メンバー新作俳句同好会 はるひへようこそ!

幸田町・鷲田の鷲田神明宮の句碑 鈴木定夫

 幸田町の鷲田は私の父が生まれ、東京で生まれた私が戦渦を遁れて叔父の家に疎開(昭和20年6月~21年1月)していた村でもあった。今もなお、懐かしさに心惹かれる里である。

 ここにご紹介する<句碑>の背景について――〝詠み人〟本田喝草さんのご子息や、私の従兄弟や、俳誌『三河千号史稿』の記述内容などを踏まえて考察してみた。

1. 本田喝草さんについて =明治44(1911)年生まれ~昭和45{1979}年没=

①鷲田神明宮の近くで〝瓦〟の製造販売のかたわら、村の人々に推されて社守(神社の維持・管理の責任者)を10年余りも勤められた。

②趣味の俳句では、俳誌『三河』の支部?〝土筆会〟の幹事を引き受け、温厚・篤実な人柄で人々に親しまれていたと伝わる。

③句碑に刻まれたこの句は、神の旅(旧暦10月、全国の神々が出雲大社に集い、あくる年の男女の縁組を定めると言われる神事)にあたり、社守として石灯籠に火を灯して神様を送り出したのちの感興を・・しみじみ詠まれたものであろう――と、私には思われる。

*以下、巻末の「つれづれメモ」をご参照願います。

1.≪課題句≫ =「彼岸」(お彼岸、入り彼岸、彼岸過)です。

蔭山 政江 課題句1
鈴木 定夫 課題句2
堰本 敏雄 課題句3
瀧本 憲宏 課題句4
宮川久美子 課題句5
山根 円蔵 課題句6
吉弘カスミ 課題句7
吉川 正男 課題句8

2.≪自由句≫

蔭山 政江
俳句特設1
鈴木 定夫
俳句特設2
堰本 敏雄
俳句特設3
瀧本 憲宏
俳句特設4
宮川久美子
俳句特設5
山根 円蔵
俳句特設5
吉弘カスミ
俳句特設6
吉川 正男
俳句特設7

3.お知らせ

 次・5月号の課題は――「鯉幟」(五月幟、座敷幟、初幟、吹流し、矢車)です。
傍題はお手元の歳時記による。・・締め切りは、4月10日です。

お世話役のつれづれメモより

  • 俳誌『三河千号史稿』の「歴史欄」に・・

    昭和54年1月30日 本田喝草 急逝 享年68歳

    絶詠 人生に 終焉があり 菊枯るる ・・とあった。

    • 喝草さんは生来心臓に病を持っておられた。

    • 昭和34年の伊勢湾台風によって、鷲田神明宮の拝殿が倒壊したり、付属の社殿や杉の大木も根こそぎ倒れるという大きな被害をこうむった。

    • 社守・喝草さんは、神社の復旧・復興に精魂を傾けられ、2年後の昭和36年に仮拝殿が完成した。

    • 神社の復興が進むにつれて、喝草さんの体調が悪化していることを周囲の人々も察し社守を退任されたのを機に、喝草さんの足跡の証しとして、昭和47年に鷲田神明宮の鳥居の脇に 大前に 一献献ず 神の旅 の句碑が土筆会により建立された。

    • そして伊勢湾台風から20年目の昭和53年、鷲田神明宮が復興したのを見届けるように、翌年喝草さんは急逝された。――絶詠の句に涙を誘われる。

  • 「喝草さんの「句碑建立之覚書」

    • 喝草さんのご子息にお会いしたときに見せて頂いた。その内容は・・

      • 1. 地鎮祭

        • 出席者:俳誌『三河』の第2代主宰・鈴木煙浪氏、藤江充(本欄=前号「青嵐」の句碑の建立者)ほか31名。
      • 2. 寄付金(金額は割愛)

        • 22名、神社一同
      • 3. 句碑代(金額は割愛)

        • ――以上の如しで、喝草さんの人柄や句碑建立の段取りなどの参考になった。

〒444-0113 額田郡幸田町菱池農基17-1