俳句同好会 はるひ2019.08 通刊46号

2019年8月 メンバー新作俳句同好会 はるひへようこそ!

 友人から借りた『愛知の文学碑』にこの句碑が載っていたのと、三太楼さんが幸田の生れと知ったので(是非に)と浄光寺を三回訪ねたが、都度、住職さんはお留守でお会いできなかった。
 そして四回目に住職の奥様にお会いでき、ご親切に三太楼さん・直筆の十二か月句が描かれている、障子仕立ての衝立などをつぶさに観させて頂くことができた。
 また、江戸時代に建立された本堂・屋根の工事中(瓦から銅版への葺き替え)の足場を登って、梁や柱の象や虎などの彫り物等など、子細に拝観させて頂くことができ、幸せなひと時だった。

*以下、巻末の「つれづれメモ」ご参照。

1.<課題句>=「金魚」(金魚全般)

伊藤 昭徳 課題句1
蔭山 政江 課題句2
鈴木 定夫 課題句3
堰本 敏雄 課題句4
瀧本 憲宏 課題句5
野口 正子 課題句6
宮川久美子 課題句7
村椿トミ子 課題句8
山根 円蔵 課題句9
吉川 正男 課題句9
吉弘カスミ 課題句9

2.<自由句>

伊藤 昭徳
俳句特設1
蔭山 政江
俳句特設2
鈴木 定夫
俳句特設3
堰本 敏雄
俳句特設4
瀧本 憲宏
俳句特設5
野口 正子
俳句特設6
宮川久美子
俳句特設7
村椿トミ子
俳句特設8
山根 円蔵
俳句特設9
吉川 正男
俳句特設10
吉弘カスミ
俳句特設11

3.お知らせ

次・9月号の課題は、「西瓜」(および西瓜全般)です。
傍題はお手元の歳時記による。締め切りは9月15日です。

お世話役のつれづれメモより

  • 岡崎市中島町の「浄光寺」
    • 浄光寺の起源は、戦国時代の寛政5(1464)年に、本願寺の蓮如上人に帰依した石川康正(三河の戦国武将・石川数正の父)により創建された「安楽寺」といわれる。

    • 永禄6(1563)年、三河一向一揆に攻められ焼失したが、德川家康の宗門赦免によって救済――「浄光寺」は、板倉勝重の母君から提供された屋敷の土地に再興された寺である。

    • 慶長6(1601)年、伊那忠次から寺領4石8斗を寄進された。また慶安2(1648)年に德川家光から朱印地3石1斗を寄進された。

    • 天保2(1831)年から同6年(1835)にかけて、現在の本殿、庫裡、玄関が再建された。

    • そして現在、今後予見される東海大地震に備えて、重い屋根の耐震改修のため、屋根瓦を撤去して銅板葺きに改める、耐震・軽量化の大規模工事が着々と進めれている。――広い境内を案内して頂いた住職の奥様に促され、工事用の足場を登って180余年昔に建てられた屋根裏、太い梁や柱に彫刻された象や虎まで子細に説明頂いて、感銘の一日となった。

  • 伊澤観了・三太楼;明治28(1895)年生~昭和52(1977)年没

    • 三太楼さんは幸田町野場で生まれ、成人して隣町の名刹「浄光寺」に役僧として勤めた人。今なお岡崎の俳人からは「今良寛・伊澤観了・三太楼」・・などと偲ばれ親しまれている。

    • 境内には多くの母子像や水子地蔵が並べ建てられ、頂いた資料によると戦後の混乱期には、近くの病院から運ばれた水子を葬り、手厚く供養されていたという。

    • 一つの石に刻まれた、三太楼を含む12人の合同句碑が境内にあり、人徳を彷彿とさせる。カメラで撮っても判読しづらい句も含まれるので・・頂いてきた資料からここに転載する。

    ――過ぎ去りし日々を懐かしみ、三太楼さんを慕って集まった人々の息遣いが伝わって来そうな感慨を味わいながら静かに居並ぶ詠み人たちの「句」に向き合えたのは幸せな体験であった。

額田郡幸田町菱池農基17-1 鈴木定夫