俳句同好会 はるひ2019.12 通刊50号

令和元年(2019)年12月 メンバー新作俳句同好会 はるひへようこそ!

岡崎市桑谷町の「長善寺」の句碑 鈴木定夫

正月も暮れもなし唯お念仏 鈴木煙浪

昭和44年12月14日 妻ヨシ子・長男茂男 建立

1.<課題句>=冬日、枇杷の花

伊藤 昭徳
蔭山 政江
鈴木 定夫
堰本 敏雄
瀧本 憲宏
野口 正子
宮川久美子
村椿トミ子
山根 円蔵
吉川 正男
吉弘カスミ

2.<自由句>

伊藤 昭徳
俳句特設1
蔭山 政江
俳句特設2
鈴木 定夫
俳句特設3
堰本 敏雄
俳句特設4
瀧本 憲宏
俳句特設5
野口 正子
俳句特設6
宮川久美子
俳句特設7
村椿トミ子
俳句特設8
山根 円蔵
俳句特設9
吉川 正男
俳句特設10
吉弘カスミ
俳句特設11

3.お知らせ

次・1月号の課題は、新年一切(歳時記参照)です。締め切りは、1月20日です。

お世話役のつれづれメモ

  • 鈴木煙浪;明治33(1900)年・桑谷生れ~昭和61(1986)年没。
              *以下『俳誌三河1000号史稿』を参考に記す。

    • ①煙浪は長善寺の檀家であることから、この「句」は同寺内で催された句会で詠まれたものと拝察できる。煙浪師は――、『俳誌三河』の第2代の主宰として、三河における俳壇の進歩発展に大きく貢献されたものと思われる。 ②本業は学校の教師で、大正12年に23歳にして「蒲郡農業学校」の剣道と農業実習教育の助手を勤め、以降、「蒲郡南小学校」-「竜谷青年学校」-「形埜青年学校長」を経て、昭和22年に退職し、以降は農業にいそしんで余生を送った。剣道は4段であった。 ③昭和54年に、自分の〝傘寿〟と〝金婚〟を自祝して、三河の俳聖と称えられる鶴田卓池によって詠まれた 風の声・・の句碑を建立したと伝えられる。 ④昭和61年3月27日、病いで亡くなる前日に、次の「辞世の句」を詠み、永眠された。

      寂然と鳥渡りけりみんなみへ 煙浪

  • 鶴田卓池;明和5(1768)年、岡崎・菅生町生まれ~弘化3(1846)年没。

    • ①生家は江戸時代の紺屋。温厚な人柄で〝天保の四俳人〟(鶴田卓池、横井梅室、成田蒼虬、田川鳳朗)と並び称され、三河の俳聖と称えられた。 ②卓池は書画を能くした人で、多くの書籍、短冊、軸物、屏風などが――岡崎の文化財として、図書館の「卓池文庫」で閲覧できる。 ③卓池の詠んだ「風の声・・」の句碑の脇に、三河俳句会岡崎支部の銘板が付されていて、――「この句は大変主観の勝った珍しい句である」・・旨の一文が表示してあった。

       はからずも〝歳末〟の詠まれている<句碑>訪ねて、われ知らず昭和の句碑が・・江戸時代の句碑と・・命脈的にも結ばれているかのような想いに捉われ、感慨深く嬉しい歳末になった。

額田郡幸田町菱池農基17-1 鈴木定夫