俳句同好会 はるひ2020.05 通刊54号

令和2年(2020)年5月 メンバー新作俳句同好会 はるひへようこそ!

豊川市八幡町=「西明寺」の句碑 鈴木定夫

◆ベルツ博士:明治9(1876)年に東京医学校生理学内科教授に招かれ、同年6月着任。
医学を中心に、日本の文化を研究・考察紹介しながら価値ある多くの成果を挙げている。

 5月19日〝新型コロナウイルス禍〟による外出自粛の制限が少し緩んだので、家内を伴って豊川に句碑を訪ねた。
 幸田から国道23号線を南下し、蒲郡の終点から<オレンジロード>で三河の山を突き抜けて、音羽蒲郡で国道1号線へ右折。名鉄御油駅を過ぎた辺りで『西明寺』の大看板が目に入って来た。
 事前に確かめた案内の通り、往路約50分(23km)で西明寺の広大な駐車場に到着した。

 正面の参道では・・「祈 新型コロナ早期終息 疫病退散」の幟が、訪れる人々を迎えていた。

 本堂へ上がり、お賽銭を奮発してご利益を祈願していたところ――和尚さんと客人が御仏壇の前に居並び――法事のお経が始まった。
 お経の途中で退出するのは憚られる思いもあって、最後まで法事に同席。30分程で終わって、みなさんに挨拶して退出したが、荘厳静寂な境内や句碑の情趣を、目の当たりに出来て良かった。

メンバー新作ご紹介

1.<課題句>=牡丹、更衣

鈴木 定夫
堰本 敏雄
瀧本 憲宏
村椿トミ子
山根 円蔵
吉弘カスミ

2.<自由句>

鈴木 定夫
俳句特設1
堰本 敏雄
俳句特設2
瀧本 憲宏
俳句特設3
村椿トミ子
俳句特設4
山根 円蔵
俳句特設5
吉弘カスミ
俳句特設6

3.お知らせ

 次・6月号の<課題>は、・・・日傘、蛇の衣、簾です。
 締め切りは、通信句会のため、6月8日(第二月曜日)着となります。

お世話役のつれづれメモより

  • 水原秋櫻子:明治25(1892)年10月生まれ~昭和56(1981)年没。
    • ①東京大学医学部血清化学研究所を卒業後、家業の病院と産婆学校の経営発展に努めた。
    • ②大正9(1920)年、「ホトトギス」に投句する一方、窪田空穂に短歌を学んだ。のちに〝浪漫風〟の叙情が広く世に知られ、新鮮な俳風を発展させてゆく基盤となった。
    • ③昭和22(1947)年、「東大俳句界」を創設したことでも知られる。。
    • ④芸術院会員
  • 西明寺(寺伝によれば・・・)
    • ①平安時代の寛和年間(958~987年)に、三河国司・大江定基が『六光寺』を開いたのが始まりという。
    • ②永禄7(1564)年に、徳川家康の東三河への出陣に協力し、寺領20石を賜り、家康の命名によって『西明寺』と、寺名を改めている。
    • ③本堂の欄間の幕に、徳川家・名代の家紋の〝三葉葵〟が・・大きく染め付けられていた。
  • ドイツ人医師・ベルツ博士 嘉永2(1849)年生まれ~昭和2(1927)年没。
    • ①ベルツはドイツの内科医で、明治9(1876)年、時の政府から招聘されて東京医学校の教師になり、宮内庁の侍医も勤めるかたわら、明治35(1902)年まで在職した。
    • ②ベルツ博士は――博士の伴侶、花婦人の父方の菩提寺が『西明寺』であったことから・・
      昭和5(1930)年、ベルツの供養塔が建てられた――などの事績も学ぶことが出来た。
  • 水原秋櫻子は、医師の先輩として尊敬していたことから、碑の建立にも関わっていたものと推察している。遠からん者は音にも聞け近くばよって見よ・・との古伝が頭に浮かんだ。

額田郡幸田町菱池農基17-1 鈴木定夫