俳句同好会 はるひ2020.06

令和2年(2020)年6月 メンバー新作俳句同好会 はるひへようこそ!

一宮市・尾西・西五条/「信行寺」の句灯篭 鈴木定夫

 〝句碑をたずねて〟取材の対象先は(体力的にも)マイカーで2時間以内の範囲に絞っているものの、友人から借り受けた『愛知の文学碑誌』に、一宮市の尾西と呼ばれている地区に石灯籠の句碑がある――との紹介を発見して以来、機会が得られたら是非訪れよう――と考えていた。
 そうした折から、コロナウイルス起因の<外出自粛>が少し緩和されたので・・住いの「幸田」から「一宮」まではJRに乗り、その先はタクシーを利用して目標の「信行寺」へ赴いた。

 この句灯篭は、句仏が、東本願寺大谷派の限定相続問題で、本山当局と争った際、句仏の弟子で俳弟子でもあった真行寺の住職の筧湖風が――句仏を招いて抗議集会を開いた記念として計画・建立された――と、伝わる。

メンバー新作ご紹介

1.<課題句>=日傘 蛇の衣 簾

蔭山 政江
鈴木 定夫
堰本 敏雄
瀧本 憲宏
野口 正子
宮川久美子
山根 円蔵
吉川 正男
吉弘カスミ

2.<自由句>

蔭山 政江
俳句特設1
鈴木 定夫
俳句特設2
堰本 敏雄
俳句特設3
瀧本 憲宏
俳句特設4
野口 正子
俳句特設5
宮川久美子
俳句特設6
山根 円蔵
俳句特設7
吉川 正男
俳句特設8
吉弘カスミ
俳句特設9

3.お知らせ

 次・7月判の<課題>は ・・冷麦、夏の夜、瓜です。
 締め切りは、通信句会で第2月曜日の7月13日着――となります。

お世話役のつれづれメモより

  • 大谷 句仏 *明治8(1875)年生まれ~昭和18(1943)年没、68歳。
              (本名=光演、法名=彰如、俳号=句仏)伯爵
  • 妻は三条実美の3女;章子。29歳の時に長男・光暢誕生。
  • 趣味は――俳句を河東碧悟桐、書を杉山三郎、画を河野樺嶺に学んだ。
    *作品多数が「信行寺」の本堂、庫裏座敷、書院などに展示され、好き目の保養になった。

    (皆様にもご一見を是非おすすめします)

  • 手元の『俳句歳時記』・・2月6日の忌日に〝句仏〟の俳句が載せられていた。

    人の世へ儚き花の夢を見に 大谷句仏

  • 明治33(1900)年5月26歳の時に、<釈尊仏骨迎正使>としてタイ国を訪問された。
  • 大正14(1925)年に、京都本願寺の限定相続問題で〝本願寺〟の当局と争った際・・
    信行寺の住職・筧潮風などが句仏を招いて、抗議集会を行った。くだんの〝句灯籠〟は、その一挙を後世にも伝え残していく祈念の意味から、「信行寺」に建立されたものである。
  • 一時は僧籍を剥奪されたが、昭和10(1935)年に、句仏や潮風の僧籍に復帰した。

≪信行寺≫

  • 文政2(1819)年に建立。明治24(1891)の〝濃尾地震〟(マグニチュード8.4)により本堂が倒壊したが・・5年後の明治29(1896)年に再建された。

    *世界最大級のこの地震を契機に、わが国の地震工学は急速に発展した。

  • 信行寺の各部屋には数多くの〝句物〟の作品が展示されていた。
    <本堂>に6点、<お堂座敷>に10点、<庫裏座敷>に5点、<茶席>に9点、<書院>
    には38点もの〝俳句〟〝書〟や〝画〟などが並べられている。不意の訪問にも関わらず、快く案内して頂くことが出来、〝目〟と〝心〟共こよなき保養となった。感謝!

額田郡幸田町菱池農基17-1 鈴木定夫