俳句同好会 はるひ2020.08
令和2年(2020)年8月 メンバー新作

終息気配の一向見られぬ〝コロナ禍〟と、来る日も来る日も炎暑の毎日。――取材行脚も(近場の句碑へ)と<目的地>を絞り込み、自宅から約13km・・クルマで約20分ほど隔たった地区にある『矢作東小学校』ならびにその一隅に建つ、くだんの〝句碑〟を訪ねて行ってみた。
◆前日、電話を受けて頂いた先生に、訪ねて行きたい趣旨・目的をお伝えしたところ、まだ年若いその男の先生は、校内に句碑があることさえご存じなかったものの、早速市役所へ赴かれ、句碑の由来や所在を確かめられたとのこと。――お会いして挨拶するや、直ちに校舎の横奥に建つ<句碑>へ、と直接案内して下さった。ご親切に下調査まで頂いて、私は大変嬉しかった。
*巻末の「つれづれメモ」をご参照願います。
●メンバー新作ご紹介
1.<課題句>=立秋、星月夜、木槿
蔭山 政江 | ![]() |
鈴木 定夫 | ![]() |
堰本 敏雄 | ![]() |
瀧本 憲宏 | ![]() |
野口 正子 | ![]() |
宮川久美子 | ![]() |
村椿トミ子 | ![]() |
山根 円蔵 | ![]() |
吉川 正男 | ![]() |
吉弘カスミ | ![]() |
2.<自由句>
蔭山 政江 |
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鈴木 定夫 |
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堰本 敏雄 |
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瀧本 憲宏 |
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野口 正子 |
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宮川久美子 |
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村椿トミ子 |
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山根 円蔵 |
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吉川 正男 |
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吉弘カスミ |
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3.お知らせ
次・9月の課題は 秋の燈、秋草、爽やか・・です。
*締め切りは通信句会=8月17日(月)。作品提出=9月21日(月)です。
お世話役のつれづれメモより
- 浅井浚一 大正12(1923)年・・岡崎市福寿町生れ。
- ①『愛知県教員名簿』によると――昭和39(1964)年以後、市内の中学校や教職員、俳句愛好家の講師を勤めている。
- ②昭和49(1974)年に、矢作東小学校において、木造校舎から鉄筋コンクリート造りの新校舎が完成した時の校長であり、三月のひかり洽し校舎成る・・の「句」が誇らしく残された。
- ③岡崎の甲山中学校に勤務された昭和58(1983)年には、「甲山文学散歩道」の造設が成り、句碑42基、短歌18基、詩・詞11基が整えられて、平成19(2007)には≪文部科学大臣賞を受賞されている。
- 矢作東小学校
- ①句碑へ案内して頂いた先生のメモによると、学童数が激変していた。昭和56(1981)年には約1,100人であった学童数が・・令和2年は、約650人になっている由。
*〝句碑をたずねて〟取材行脚とは次元の異なる観点からも、矢作町周辺に居住している方々の人口や、急速な減少の原因を知りたいものだ・・・と、私は思った - ②木造校舎が解体されて、今見られる鉄筋コンクリート造りの校舎が完成した、そのウラには、積極的に用地や田畑を寄付して計画に協力した周辺住民の大きな力添えがあった・・と実感することが出来た。
――句碑・裏側に刻まれた「校舎建設協力会」のひと文字ひと文字も、かって多くの住民たちが郷土を愛する気持ちを注いで力を合せた心の実りが込められているようだと感銘しながら、句碑を後にした。
- ①句碑へ案内して頂いた先生のメモによると、学童数が激変していた。昭和56(1981)年には約1,100人であった学童数が・・令和2年は、約650人になっている由。
額田郡幸田町菱池農基17-1 鈴木定夫