俳句同好会 はるひ2020.09<第60号>
令和2年(2020)年9月 メンバー新作

コロナ禍による〝蟄居〟と残暑の折から、9月20日は随分秋めいて涼しげな風もあり、蒲郡・天桂院の句碑をたずねた。家内とともに〝交通安全〟を祈念しながら赴いた。車で国道28号線から
県道353号に乗り継ぎ、蒲郡・元町の信号を左折→→蒲郡中央通りを北上→→新幹線高架の手前の細道を右折→→高架の下を抜けたところが・・『天桂院』の駐車場であった。
(行程=約11km、ほぼ30分で到着することが出来た)
本堂に上がってお参りしてから、和尚さんに〝お寺の由緒〟を伺ってみたところ、
○『天桂院』は約500年前に建立された松平の名門で、横綱玉の海の墓がある・・と。
○三河地震(昭和20年)の際には、地盤が固いこともあって無事であった、とのお話だった。
墓地には、墓石の横面に「前松平生水源守淳」と刻まれていた。改めて<歴史>を実感できた。
*以下・・巻末の「つれづれメモ」をご参照願います。
●メンバー新作ご紹介
1.<課題句>=秋の燈、秋草、爽やか
蔭山 政江 | ![]() |
鈴木 定夫 | ![]() |
堰本 敏雄 | ![]() |
瀧本 憲宏 | ![]() |
野口 正子 | ![]() |
宮川久美子 | ![]() |
山根 円蔵 | ![]() |
吉川 正男 | ![]() |
吉弘カスミ | ![]() |
2.<自由句>
蔭山 政江 |
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鈴木 定夫 |
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堰本 敏雄 |
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瀧本 憲宏 |
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野口 正子 |
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宮川久美子 |
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山根 円蔵 |
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吉川 正男 |
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吉弘カスミ |
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3.お知らせ
次・10月の課題は 秋高し、名月、新米・・です。
*締め切りは通信句会=10月12日(月)。作品提出=10月21日(水)です。
お世話役のつれづれメモより
- 俳誌「三河」の・・3主宰『俳誌三河千号史考』を引用した。
- ①市川丁子:明治8年10月11日、幡豆生れ~昭和27年11月12日没、78歳。
- ・明治31年:愛知県立師範学校卒、三河各地の尋常高等小学校に奉職、大正5年に退職し、豊橋へ転居。
- ・大正6年:私塾『時習館』を開設。
- ・大正9年:俳誌『石楠』の臼田亜浪に俳句を学ぶ。
- ・昭和2年:陸軍教導学校の教官に就任。
- ・昭和4年:俳誌『三河』を発行、主宰に就任。(以降23年間にわたって活動)
- ②鈴木煙浪:明治33年9月24日、岡崎・龍谷生れ~昭和61年3月28日没。86歳。
- ・大正12年:蒲郡農学校(現蒲郡高校)の剣道と農業実習の助手に就任。
- ・昭和3年:蒲郡南部小学校に転任。
- ・昭和4年:俳誌『三河』に加入。
- ・昭和4年:『三河』の作品批評・添削を充実――100名余に句会発展。
- ・昭和14年:満州の青年訓練団の視察に出張。
- ・昭和21年:形埜青年学校長に就任。(以降34年間にわたって活動)
- ③山田牛歩:明治42年9月20日、豊橋生れ~平成16年7月25日没。94歳。
- *引用資料に年賦が載っていないので、『三河』会員の〝主催の想い出〟欄から拾ってみた。
- ・Aさん 「牛歩氏の業績は、貧困農家の青年に生涯活かせる灯明を授けて頂いたことである。俳句は日本語を話すことが出来れば、誰でも作れる。それに老後に・・楽しみとして極上の趣味ですよ・・と。」
- ・Bさん 「先生の辞世の句を頂いた。 ――妻よ吾子よ吾を迎えてよ夏の月――」
- ・Cさん 「先生が定年後、働きながら学ぶ勤労学生の中卒の娘さんたちに、三河織物協同組合が設立した『三河女子高等専修学校』の校長として、若い娘たちを見守ってくれたこと」
- ①市川丁子:明治8年10月11日、幡豆生れ~昭和27年11月12日没、78歳。
- 天桂院
- ①永正9(1512)年岩津城主、松平信光の嫡男・松平家守の菩提のために創建された宗道宗の寺であり、西部松平氏の菩提寺である。墓標の「前松下主水源守惇の墓」が時代を実感させた。
- ②俳誌『三河』第3代主宰者・山田牛歩の菩提寺であることから、先代・鈴木煙浪の句碑と並んで<天桂院>に句碑が設けられた。
- ③墓地には〝横綱玉の海〟の墓があった。丁度お墓参りをされていたご家族のご主人から玉の海とは小学校の同級生でしたよ等々・・楽しそうな想い出話を伺うことができた。
- ④天桂院の文化財(愛知県、蒲郡市の指定文化財)
- ◎四条河原遊楽図屏風(県指定) ◎桃山時代の遊女歌舞伎の図 ◎誕生佛(市指定)
- ◎江戸時代の釈迦誕生の姿図 ◎竹谷松平歴代の画像(市指定)・・など。
額田郡幸田町菱池農基17-1 鈴木定夫