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■私とブレーキホース

昭和48年頃のこと。ブレーキホースがアメリカの認証試験で耐久性能不足とみなされ、不合格と判定されてしまった。そのため顧客(自動車会社)は、アメリカでの販売も、陸揚げ待ちの車の移動もできない事態に陥った。重要保安部品であるブレーキホースやその装着車両を、アメリカで販売するには、同国政府公認の認証試験所による検査に合格しなければならない。そうした決まりであった。
急遽、再度の認証試験を受けねばならない。そのサンプルを携えて、3日以内にアメリカへ出張せよ!との命令を受けた私は、直ちにブレーキホースの検査を実習するため、工場へ急行した。顧客への信用と会社の名誉を双肩に…まさしくそうした心境だった。
出張先のETL(Electric Testing Laboratory)には、顧客の現地提携先である自動車会社から、ブレーキホースの主任技術者・Y氏が派遣され、再テストに立ち会ってくれた。心強さを覚えながらも、テストの様子を凝視した。
検査員がホイップ試験機(水圧をかけながらホースを回転させる耐久試験機)にホースを装着。手順を見ていて、「不合格の原因はこれだ」と閃くものがあった。「今の手順に間違いはないか?」と念押ししたうえ、再度のテストを促すと、果たしてホースは予想通りに、10分ぐらいでパンクした。 水を湛えたバケツを用意し、今度はY氏の見ている前で同じ手順の試験を促す。5分後に止めて貰って、ホースの一端を試験機から外し、バケツに浸して盲栓を緩めたとたんに、猛烈な勢いで空気が吹き出したのである。ほっとして、カメラに収める。検査員は呆然、Y氏は感動しきりであった。
ホース中の空気を抜かずに試験をしたので、空気が一端に押し付けられ、ホースの屈撓による発熱で空気が膨張、さらに圧力が上昇してホースのパンクに至ったのである。ETLは面目を失い、ホースは合格と決定された。会社の信用と名誉の回復は成り、終生忘れ得ぬ想い出が心に残った。

<後日談>

昭和54年2月、豊田合成(株)はAAMVA(アメリカ自動車管理官機構)による、ブレーキホースの公的試験所資格を取得しています。

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