名古屋ゴムの青年期

■押出工場およびその生産技術の開発・改良にチャレンジした日々

引き続いて柳井宏さんの、昭和32年に入社された当時の想い出です。

柳井さんは、名古屋工業大学在学中から恩師の勧めで名古屋ゴム(株) へ出入りされていました。この想い出もその頃のご体験を踏まえたものです。

◆入社直後の面接で「現場がいい、汚い処で結構です」と応答したら・・

「押出係」へ配属された。係長からは「やりたいことをやっていなさい」と言われた。

(こりゃいい会社へ入れたものだ)と感じたものだが、いま振り返ると「やらなければならないことを自分で見つけ出してやりなさい」と言う意 味だったと思われる。

当時の押出工場は、床にはタルク(滑石)の粉が一杯落ちていて、歩けばバタバタ舞い上がっていた。半日現場に居ると、眉毛にも粉が溜まった。工場中がタルクの飛散で真っ白だった。押出された未加硫のゴム製品は柔かな餅のようなので、タルクは離型と変形防止のための必需品であったのである。

会社トップからは「工場からタルクを撲滅させること」との指示を受けており、その達成には<押出機の改良> 、<ゴム材料の改質>、<加硫治 具の改良>、<離型剤の改良>が必要だった。それらの課題をクリアするまで結局、約8年を要した。

◆当時の押出機、加硫缶について

<押出機>
軸受けは砲金メタル。長時間運転して潤滑油が切れてくると発熱するので、その上に〝濡れ雑巾〟を置き、冷やしながら運転していた。軸受けが摩擦すると、スクリュー先端が偏芯しながら回転する。そうなると、ますますスクリューの山が崩れてゆく・・。当時の機械は戦中(国華工業時代)の焼け残りで、老朽化もかなりの代物だった。無段変速機(三木式Vプーリー)付きの押出機が1台あり、あとは定速回転押出機であった。

<加硫缶>
横缶と縦缶とがあり、いずれも蓋は10~20本のボルト締めであった。
横缶への出し入れは台車で行い、縦缶はクレーンで蓋を上げ下げしていた。

ある時、缶の中の蒸気を抜いて温度が下がったところで蓋をクレーンで上 げようとしたが、なかなか上がらず、ついに、フックが切れてしまった。工場内がタルクの粉塵で何も見えない騒ぎとなった。・・缶の中が真空状態になり、蓋が吸いつけられてしまったために発生したエピソードである。

◆押し出し機の改良に取り組む

1.軸受けの改良(砲金からボールベアリングへの変更)
ベアリング強度、寿命計算などの基礎データがなく、データの収集から着手した。

まず押出圧力を測定しないとスラスト荷重が判らない。そこでヘッドに穴をあけ、スプリング付のプランジャを差し込み、その変位を荷重に換算して 測定した。ラジアル荷重は、モーターの出力から逆算して決めた。
(当時はまだストレーンゲージはなく、測定方法自体の工夫が必要だった)

2.スクリュー形状の検討
上司(加藤取締役・当時)に、押出寸法安定化のため「押出の基礎研究」を行いたい。ついては実験用の押出スクリューを5本ほど造らせて頂きたい」と具申したところ快諾して貰えた。押出理論は、前田先生(のちに豊田合成常務)の講座で学んだ。

スクリューはL/Dの長いもの、短いもの、ねじの深溝のもの、浅溝のもの、 1条2条ねじもの・・の5種類を造ってテストしてみた。

テストの結果、L/Dを長くして浅溝にしたスクリューを用いると押出量の変動が少ないこと、また練生地を余熱しなくても材質によっては押出可能ということが判った。

3.スクリューの変更
当時のスクリューはL/D2~4、等ピッチ深溝タイプであったが、L/Dを5とし、浅溝の可変ピッチに変更した。同時にシリンダーを長くした。そののち、新規製作の押出機についてはL/Dを7以上とした。

4.ゴム材料の改質および設備の改良
押出材料が天然ゴムから合成ゴム(SBRやハイパロン)の量産適用へと変化してゆく一方、押出機の改造・改良が着実に進んだことから、冷たい練生地を投入しても押出可能(コールドフィード)な状態が実現できた。

5.タルク撲滅への取り組み
押出後(餅状)の製品をタルクの床に載せるのをやめ、製品形状に合わせて造った金属製のパレットに横たえる方法(堀敏恭さん=当時係長)が採用された。また、粘着防止のため、軽炭を水に溶かし、槽に入れて押出された製品に付着させる方法も併用された。天然ゴムから合成ゴムへの切り替えも、それが可能となった一因である。

当初押出機1台に3名(投入材切り、離型剤まぶし、巻取り)が定員だったが、一連の改造・改良により、押出機1台に1名の体制となった。

◆蒸気缶でよく発生した「アバタ」への対策――常圧加硫への足がかり

加硫された押出製品の表面に、時おり、凹凸のアバタ模様が発生することがあり、安心して生産できない状態で、対策が急務となっていた。

  1. 策を検討するため、海洋ゴム(ゴム引きの雨合羽を製造されていた)へ出向いたところ、「熱空気加硫」が行われていた。すなわち蒸気の代わりに熱空気を缶に入れて加硫する方式である。それにヒントを得て・・
  2. 缶の内部にびっしり蒸気パイプを張り巡らして、パイプ表面からの放熱で加硫缶の内部を加熱すると同時に、コンプレッサーで空気を送り込む構造にした。
  3. 最初の5~10分は、熱空気加硫、その後は従来と同じく蒸気を入れて30~40分加硫して、アバタ対策をした。成功したが、その後、天然ゴムから合成ゴムに代わったことと、四季の温度、湿度とドレーン対策などにより不要となった。

この検討中(なぜ加硫の際に最初から圧力を掛けねばならぬか?)疑問があり、「圧力をどこまで下げたら、発泡してスポンジ状になるか」を実験で 見極めた。そして「発泡するのはなぜか?」を研究した。(きっと加硫温度 で、ゴム材料や配合剤からガスが出る。圧力を掛けるから気泡は出ない)と 思ったのである。試してみると、果たして2kg/cm2で発泡しなかった。

◆ソリッドゴムの常圧加硫(連続加硫)へ挑戦

<真空式押出機の開発にまつわる想い出>

入社当時、同じ下宿に、陶器会社に勤めている技術者が居て、親しくしていた。その人から、陶器材料の土の中の水分や揮発成分を抜くために「真空 土練機」なる機械を用いているのを聞き込んだ。二段上下に押出装置があり、上下の押出装置は、真空チャンバーで連結されていると言う。

  1. 当時、常圧加硫の思案中だったので(いいヒントを得た)と考え、「多段の真空式押出装置」を造ろうと思い立った。さっそく上司に「ゴムの中の空気(加硫時に発生する揮発成分)を真空で吸引すれば、缶で蒸気圧を掛けなくても発泡せずに成形できる」と提案したが、誰も相手にして貰えなかった。ただ一人「やってみろよ」と勧めてくれたのが加藤取締役(当時、のちに社長・会長)であった。
  2. そこで早速、実験機を設計・製作した。そして待ちに待った実験を開始した。真空で引いたものと引かないものの未加硫品をトンネル炉で加硫してみたところ、真空で引いたものは発泡していないことが確かめられた。まさしく感動、感激だった。よし!これで押出から加硫までを連続して成形できる、と確信できたからである。

<量産化にまつわる想い出>

量産化適用製品を選択するに当たって、まず押出材料別にテストをしたところ、SBRはOK。耐候性材料のハイパロンはどうしてもNG。材料メーカーのテストプラントのEPTならOKであることが判った。

  1. それを踏まえ、最初の量産適用製品をグラスランに決定した。材料を大量に入手できないので、小断面の製品を選んだのである。
  2. 真空の押出機は3段とした。加硫方法はLCM。そして加硫槽内に、製品形状を保持する治具を工夫して取り付けた。

量産化に至る過程で、材料屋の岡野さん、御堂岡さん、横井さん、機械屋の山田(勝)さんには大変協力して頂いた。それを今でも感謝している。

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