終戦直後~名古屋ゴムの黎明期

■日産・吉原工場へ「ダットサン」用ハンドル売込み=昭和22年~

  1. 当初は〝泡おこし〟がすぐ露見して、叩き壊されるとバラバラになる体たらく。
    やむなく一時は、売込みを断念せざるを得なかった。
  2. 低融点の新材料で成型し、「また泡おこしか」と揶揄されながらも再び売り込みに訪れた。持参した10本中、5本を叩き壊してみせると、全数が内部まで樹脂化していて、遂に採用を認めて貰えた。

(念願かなって)
嬉しさ余って吉原中を飲み歩き、帰りのお金も尽きてしまった。思い余って吉原市内の日産・購買課長宅で借り受け、名古屋まで帰り着いた。

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