名古屋ゴムの青年期

■ハンドル試作について

以下は、白髭誠男さん(01年度入会)の回想を中心に要約したものです。

≪入社の頃≫
◆経済白書、「もはや戦後ではない」と総括・・1956/昭和31年
◆国連総会、日本の加盟を承認・・同年
◆皇太子(現天皇陛下)と正田美智子さんの婚約を発表・・1958/昭和 33年
◆東京タワー竣工・・同年
◆ケネディ、アメリカ大統領に・・1959/昭和34年
◆国内自動車生産台数、3年間で6倍に・・1960/昭和35年

◆試作型について

ハンドルの試作には金型ではなく、フェノール(熱硬化性樹脂)製の型を自作して用いた。その方法を要約すると…

  1. ブリキで造った箱型の型枠に、補強材の入ったフェノール樹脂(粘性流体)を注入する。
  2. その中へ、木型を元に形作った石膏のモデルを入れ、加熱・硬化させる。
    ――試作品の外形品質や寸法制度は《木型》によって左右されるが、大変技術の優れた木型屋さんであった・・という印象が今でも強い。
    頭を悩ませたのは型割れの問題だった。フェノール樹脂は硬化に伴う収縮率が 大きく、肉厚部の歪みが型われの要因になりなり易い。
    フェノール自体の基本的な知識・技術も不足しており、型形状の設計や加熱・ 冷却などのノウハウも、トライアンドエラーを重ねる中で修得して行った。

◆ハンドルの試作について

試作品はフェノール製の上・下型を2枚の厚い鉄板で挟み、加圧する。その加圧の仕方は、2枚の鉄板の6ヵ所を太長いボルトで、それも手動で締め付けるという、体力・腕力の必要なやり方だった。
下型に鉄芯を入れ、その周りに粘性流体状のFRP(補強繊維入りポリエステル樹脂)を隙間なく詰め、型を締める(体力・腕力がここで要る)。そのうえで加熱・成形を行う方式だった。
成形中、FRPのハミ出しが型の隙間から出てくる。それをヤスリで削ったり、 凹んだ箇所はパテで埋めたり。羽毛で磨いて表面を仕上げ、塗装して完成させる。 ともかく手数が掛かった。FRPに素手で触れると、石鹸でもなかなか落ちない。 ガサガサの醜い手指になってしまったこともあった。

◆その頃の生産能力について

樹脂(セルローズアセテート)製の射出成形ハンドルは、20~30本/時間 程度の生産能力だった。

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