名古屋ゴムの青年期

■購買部員の気持ちを変えた上司の一言

以下は、当時の購買部員・竹内邦嘉さんによるレポートです。

◆第一次石油ショック、その時・・・

昭和48年('73年)秋から暮れにかけての“第一次石油ショック"の時、当時の購買部では、全社から応援の人員の協力も得て、連日連夜、「品不足」および「値上げ攻勢」と戦っておりました。しかしながら、思うような結果は出せず、部員の気力が、萎えて行きました。
重油の調達もままならず、蒸気は生産用が最優先で、購買部は、冬場でもスチーム暖房が止まり、夜も遅くなってきて、防寒具で身を固めていても、足元から頭の芯まで、凍ろうとしていました。
その時、当時のK部長が、突然、大きな声で言い出しました。

「君たちは、今後の会社生活においても、こんな貴重な体験は、まず出来ないと思う。有り難いと思え!」

一瞬の静寂のあと、事務所のあちこちで、みんなが笑い出したのです。
その後、調達の状況は、なかなか好転しませんでしたが、部員の気持ちは明らかに変わりました。
現在、現役の方々は、“未曾有”の大不況に立ち向かわれておられると思いますが、「貴重な経験をさせて貰っている」と、開き直る発想も必要かもしれません。

◆第一次石油ショック

'73年10月初頭に第四次中東戦争が勃発。それを境にペルシャ湾岸産油6ヵ国が原油公示価格の21%引き上げ、原油生産の削減、イスラエル支援国への輸出禁止を表明。さらに12月には、原油価格の2倍引き上げを発表しました。衝撃はきわめて大きく、国際的な石油関連原材料の急速な品不足、価格の急騰などを招いて各国経済、民心までをも揺さぶりました。日本政府は「国民生活安定緊急措置法」や「石油需給適正化法」を急遽設けて、事態の深刻化に対応しましたが、'74年は消費者物価指数が23%も上昇するなど、「狂乱物価」という造語が流布するほどの混乱ぶりでした。

上記のレポートは、そうした背景抜きには語れぬエピソードとして貴重なものです。

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