名古屋ゴムの青年期

■良薬は口に苦し・・・の貴重な経験

≪そもそもの発端は≫

1979(昭54)年11月、新開発したEFI(電子制御式燃料噴射装置)用フューエルホースの品質不具合がリコールにまで発展する事態が発生しました。
ホースの補強糸が部分的に接触切れを起こし、使用中、局部的にホースが膨張して、最悪の場合、破裂の可能性のあることが判ったのです。
同ホースの装着車両は1万4000台に及んでいましたが、取替えを必要とする製造ロットの履歴コード(ホースに印刷)は判明しており、その履歴によって装着モデル(車両)も判っていました。そこで直ちに、実車の点検⇒該当履歴の製品を発見次第、直ちに交換する体制が整えられたのです。

≪以下にご紹介する想い出話は≫

急遽〝点検・交換〟要員(約30人)を編成したうえ「金城埠頭」の輸出車両ヤードへ連日出向いて、ほぼ一週間にも及んだ作業の陣頭指揮に当たられた、古沢美伸さん=昭63年入会=のご記憶を中心に記したものです。

◆輸送フェリー・・車両積み込み作業の〝離れ業〟

ヤードにずらりと並べられた車を次から次へとフェリーに積み込む。6車編成ぐらいで一糸乱れず進行してゆく。誠に見事で、思わず見惚れた。
ドライバーがフェリーから地上へ戻ると、マイクロバスが待機していて元のヤードへ。間合いを置かずにまた乗り込んでフェリーへ向かうといった具合で、車の前後は10センチと離れていない〝離れ業〟である。
最後の1台・・この1台のみはバックでフェリーへ昇ってゆくのであった。
かくして数千台もの輸出車両が隙間もないほど見事に納まる。こうした積み込み作業も日本の創作、それもトヨタさんで考え出されたものとされている。「車優先、さもあるべし」と、心底から感服させられたものであった。

◆埠頭ではほかの有力同業も点検・取替え作業をしていた

埠置の事務所に、「いつ、どこの会社が、○○の不具合のため、点検あるいは取替え作業を行った」などを記録してあるノートがあった。
閲覧される側にとっては〝不名誉な出勤簿〟とでも形容すべきノートであったが、わが方は比較的記録が少なく、意外な有力同業の〝出動記録〟がたび重なっていることに驚いたのを記憶している。

≪拡大初期管理ステムの構築へ≫

フューエルホースの品質不具合をきっかけに、全社一丸、再発防止の機運が強まり、製品企画段階にまでさかのぼって一元的な品質保証システムの構築が推進されました。
独自の考案による〝品質つくりこみ〟の解析手法が「保証の網」として実を結ぶなど、特に保安部品のつくり込み、信頼性の向上に大きな成果をもたらしました。拡大初期管理システムは、「口に苦し」とまさしく言うべき、貴重な〝良薬〟から生まれたのです。

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