名古屋ゴムの青年期

ラジエータグリルの開発に積極アプローチ

白髭誠男さん、鈴木定夫さん(01年度入会)の回想を中心に要約したものです。

このエピソードは、PP(プロピレン樹脂)ハンドルの開発・実用化と時を同じくして生まれたものです。ハンドル以外にもPPを適用しようという機運が背景をなしています。

◆大先輩の果敢な取り組み

大先輩(T.Iさん)の人並み外れた着想と行動力を偲ばせるエピソードがある。
1960/昭和35年頃、自ら発想してPPの真空成形によるラジエータグリルを試作し、実車による耐久テストを目的に会社の小型トラックに装着したうえ、近辺を走り回った。
当時はまだ欧米先進の自動車事情もよく判っていない。まして国内では発想さえ無きに等しかったが、敢然としてラジエータグリルの樹脂化に挑んだのである。ただしその試作品は、SKB型トラックの板金製グリルをなぞったもので、取り付け部などを幾分厚くはしてみたものの、いざ走ってみると振動や風圧で大きく変形してしまい、有効な解決策も見出せないまま、せっかくの先駆的な開発アプローチも立ち消えの状態になってしまった。

◆世界に先駆けた開発の可能性もあったが・・・

板金製を、ほぼそのままの寸法・形状で樹脂に置き換えようとした処が、今にして思えば残念。
振動や風圧に耐えられる補強リブを設けたり、剛性などを十分に考慮した形状で設計・試作を行えば、先駆的な素晴らしい開発として内外から評価されたと思われる。しかしながら、積極果敢な挑戦スタンスは賞賛に値するし、時代が変わろうとも後輩のお手本にされて然るべきである。

◆実車への採用は数年後に実現した

アメリカへ出張して自動車メーカーを見学すると、組み付けラインに部品が置かれている。「貰えないか」と交渉すると、案外あっさりOKしてくれたものだが、先方から見て当時の日本は技術・生産量とも遥かに及ばない。大らかな対応姿勢の裏にはそうした優越意識があったと思う。
ポンティアックの樹脂製グリルも同様のきっかけから入手できたもので、それを参考に研究開発を進めた結果、ABS(アクリロニトリルブタジェンスチレン樹脂)による試作検討の段階を経て、数年後にクラウン(フルモデルチェンジ車)への採用を果たすことが出来た。

故・長谷善二郎さん(元副社長)が主体となって推進された。

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